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アルビレックス新潟、歴代愚将TOP3。暗黒期の監督ランキング【albirex】

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1人目…黒崎久志

現役時代の晩年に新潟に加入。地方クラブの新潟にとってはビッグネームの獲得となり当時は沸いた。

また加入した2001年に21得点とエースストライカーとしても活躍。J2での上位進出に大きく貢献した。

 

そんな黒崎氏が監督として新潟に戻ってきた。厳密に言えば2007年からコーチとして入閣していたが、鈴木淳監督の後任として2010年に監督就任と昇格人事がなされた。

就任当初、開幕8試合未勝利と低迷。その手腕に疑問が投げられたが9節から4連勝。11試合負け無し記録を含みシーズン9位で終える。

ただ、これはマルシオリシャルデスがベストイレブンに選ばれるほどの大活躍をした年でったので監督の手腕というよりはマルシオ頼み感があった。

 

2011年も続投。開幕5試合無敗と順調な出だしに見えたが5-6月は9試合未勝利。首の皮を繋ぐ戦いぶりで昨年よりも低迷。シーズン14位で終了。

この年は浦和にマルシオが引き抜かれてしまったシーズンだった。頼みのマルシオが不在。

守護神東口がシーズン後半に怪我で離脱したのも痛かった。

 

2012年も続投。開幕3連敗。12節終了時点で17位と低迷。辞任した。

その余波は大きく後任の柳下監督が大きくチームを立て直し、Jリーグ史でも語られる奇跡の残留の1つを演じることになった。

 

選手頼みで修正力に乏しい監督であった。また戦術も鈴木淳監督の遺産を食いつぶす形でブラッシュアップはなかった。そうなると大黒柱だったマルシオの退団がほぼ決定打となったのは間違いないだろう。

 

 

2人目…吉田達磨

甲府を天皇杯制覇に導いたり、シンガポール代表の監督を務めるなど歴任したチームや一定の成果は上げているがJリーグでの実績がかなり乏しい。

工藤、武富、酒井などを育てたとして育成年代の指導者としての評価は高いがトップチームの監督となると、甲府の天皇杯制覇や柏でACLベスト8、天皇杯4強などカップ戦では成果がちらほらあるもののリーグ戦ではむしろ前年よりも下の順位にチームを押し下げることがほぼである。

前年柏レイソルの監督を務めていた吉田氏が2016年に新潟の監督として擁立された。

柏のリーグ成績は14位と下がった状態で翌年迄契約期間を残していたがシーズン限りでの解任であった。それを新潟が声をかけた形。

新潟としては2015年も残留争いを演じ、柳下監督政権が終了。2013年にリーグを席巻したハイプレスショートカウンターからボール保持を植え付けようとしたがうまくいかなかった。

そこでポゼッション志向の指導者として吉田監督に白羽の矢が立った形である。

しかしその思惑とは裏腹に大きく低迷する。1st13位、2nd15位で解任。

今のアルベルト監督が植え付けたポゼッションサッカーとは異なり、横パスバックパスに終始して攻撃につながらない吉田監督の植え付けたスタイルは相手チームに攻撃の機会を与えるだけのものでレオシルバが5人分くらい仕事をし、ラファが少ないチャンスをきちんと決めきっていたから何とかなっていたものだった。

レオシルバ、ラファエルシルバという屈指の外国人選手を擁しながら2年続けて15位。ギリギリでの残留となった。

人柄はおそらく良い方なのだろう。でなければここまで監督としての実績に対してオファーが来ないはずだからである。しかしながらチームとして勝負弱さが抜けない体質には柏でも新潟でも甲府でも起きており、致命的な何かがあるのだろう。

瀕死状態だった新潟の息の根が止まりかけたシーズンだった。

 

 

3人目…三浦文丈

そんな吉田監督の後任を任されたのが三浦監督であった。

前年、J3長野パルセイロを率いて5位。初のJ1での監督業と、不安ばかりであったが新潟でのコーチ経験もあったことと、吉田監督時代があまりにもひどかったのでこれ以上悪くなることは流石にないだろうとサポも一縷の望みをもってシーズンを迎えたが大低迷。

開幕10試合で1勝2分7敗の17位。休養を経て解任された。

前年までの大黒柱であったレオシルバが鹿島へ、ラファエルシルバが浦和へ引き抜かれ、その後釜としてチアゴガリャルドとホニを獲得したが、三浦監督の戦術は守って守ってホニに縦ポンという前時代的なサッカーで大いに苦戦した。

ホニもチアゴガリャルドもともに新潟退団後世界で活躍する選手になるわけだが双方遺恨を残す辞め方をしたことからも選手に対するマネジメントもうまくなかったのではないかと推察する。

戦術ホニとも揶揄されるサッカーは、ホニを止められたらサンドバックのように相手の攻撃を喰らいひたすら守るだけという退屈でつまらないサッカーであった。

後任に就いたのがガンバを降格させたと言われる呂比須氏であったことからもサポの不安は増大。シーズン終盤に連勝するものの時すでに遅し。年棒2億とも報道された呂比須氏を招集してもJ1残留を果たせず、J1昇格後初のJ2降格となった。

 

黒崎監督時代はマルシオが、吉田監督時代はレオとラファという強力外国人がいて、三浦監督時代にもホニとガリャルドという能力ある選手がいたものの、使いこなせなかった点が前2人よりも酷さを感じる。

その後相模原をJ2に昇格させたがJ2初年度に途中解任。今は松本のコーチをしているが果たして…。

 

 

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