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「ヲタは推しに似る」に感じる一つの疑問

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ども、こうずです。

 

「推しは推せる時に推せ」という言葉が嫌いな理由という記事がこのブログではよく検索され読まれている記事の一つなのですが、今回はそこと多少連動性のありそうな「ヲタは推しに似る」「ファンは推しに似る」という説に対して思うことを根拠やエピソードを交えて展開していこうと思います。

 

www.kouzu3.net

 

 

 

■まず本当に推しに似るのか?

おそらくここが話の大元になるでしょう。

 

「ヲタは推しに似る」という言葉の所以は例えば…

 

・ヲタクとメンバーが同じようなものを好む(好きな曲、好きな食べ物、好きなブランド…etc)

 

・ヲタクとメンバーの考えが似る

 

こういう具体的に見えて実は抽象的なところがこの言葉の出どころだと思っています。

 

メンバーと同じものを好きになったり考えに共感する場面が増えるというのは「推し活」=つまりファンとしてそのメンバーを見続け、好意を持って接し、発信に触れ、そのメンバーを考える時間が増えれば増えるほど「それが正しい」と思想を自身の本来のものからメンバーのものに寄せていくこととの連動性であるというのは十分に考えられると思います。

 

でも結果論としてそうなったとしても「似ている」ということであれば「ヲタは推しに似る」ということで問題ないと思います。

 

ぶっちゃけプロセスがどうあれ似ていると感じる部分があるのなら「ヲタは推しに似る」という言葉もあながち間違っていないのでしょう。

 

■似ていないパターンは?

かといって全員が全員ファンが推しに似ているか?と言えばそんなことは無いでしょう。

一方で全員が全員メンバーのどこかしら1つ以上は似ているということであればあり得ない話ではないかもしれません。

 

例えばヘビーメタルとキティちゃんが好きなメンバーがいたとして、ヘビーメタルはよく聞くけどキティちゃんには興味ないとか、逆でヘビーメタルはあまり聞かないけどキティちゃんのグッズは持ち歩いているなどどこかは似ていてどこかは似ていないというファンが複数いる場合は大いに考えられます。

 

この「ヲタは推しに似る」というそもそもの定義設定をどこに置くかで変わってきますが、「1つでも」似ているところがあればいいということなら該当するファンは相応にいるのではないでしょうか?

 

また、余談ですが好意をもってメンバーを推しているわけですから、そんなメンバーと自分に1つでも共通点があればファンは嬉しい気持ちになりますよね。そういう意味ではむやみにこの言葉を否定する必要も無いように思います。

 

 

■推し色とかのやつ

アイドル現場とかではメンバーに「担当カラ―」などが割り当てられているグループがあったりもします。

48Gでも推し色のサイリウムカラーとかがあるとか無いとか。

 

ちなみに小生の推しメンの指原莉乃cは「黄色」がモチーフカラーというか通称「推し色」として設定されています。

 

これは強制的に共通点を生み出す効果があります。

推しメンが黄色が好きだって言うから黄色のグッズを身に着ける

推しメンのことを考えている時間が長いほど推しメンの好きな色のものを見につけて推しメンを身近に感じたくなる

全身黄色に…(冗談ですw)

 

これは極端な例ですが、メンバーがファンに対する想いよりもファンがメンバーに対する想いの方が必然的に大きくなるとは思います。

そんなファンの熱量を考えれば推し色という仕組みは良くも悪くも同調意識を生みます。

 

学校の運動会とかで紅組白組に分かれて競技するように軍団色みたいなのが生まれ、ファン同士の仲間意識的なのも生まれる部分もあるでしょう。

 

 

推し色文化に関してはそうして強制的に推しに寄せていくことの例として取り上げてみました。

 

 

■1つの疑問

ここでタイトルにあったように1つの疑問というところに触れてみます。

 

私の場合は指原莉乃cを例にとって説明することが多いので今回もそうなってしまうのですが、莉乃cはツイッターなどでたびたびファンに対してお気持ち表明、注意に近いニュアンスですが「こうしてほしい」とファンを直接指導するようなことがままあります。

 

これは莉乃cが既にビッグになったからある程度市民権を得ている部分もあるので、駆け出しのアイドルが同じことをするとついたばかりのファンにそっぽを向かれて逆効果になることもあるのでお勧めはしないですが、ファンを指導するということはメンバーの意思とは違う行動を取るファンがいることの裏返しでもあるわけです。

 

そんな状況で「ヲタは推しに似る」なんて言えるでしょうか?

 

これが1点の疑問として触れたかった部分です。

 

莉乃cクラスになればおおっぴらにツイッターなどで指導ができますから、それがある種の本音であればファンとメンバーの間にずれが生じているわけで、オフィシャル判断的に似ていないことにもなってしまいます。

 

もちろん、指摘内容というのは一部のファンに向けての話で合って、ファン全体に対しての発信でないことがほとんどなのでファン全員の「ヲタは推しに似る」理論を否定することにはつながらないわけですが、一部のファンではメンバーと全くことなる考え方で行動に起こす人がいるということなわけですから全員が全員似るわけではないということ。

先にふれたように1つくらいは似ているところがファン全員にはあるかもしれないとも言いましたが、1つも似ていないファンもやはり存在する可能性はそれなりにあるような気がしました。

 

繰り返しになりますが、どの程度似ていることがこの言葉の定義として合致するかの設定は人それぞれだとは思うのですが、上記のようにこうしないで!と指摘されるようなファンにはならないようにして平穏にヲタ活がしたいものだなぁと感じました。

 

鍛えてる自覚あるのねw

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