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開幕7連勝の記録を作った99年のアルビレックス新潟を当時を知るサポが徹底解説【albirex】

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現在J2リーグで首位を走るアルビレックス新潟。

開幕から13戦負けなしというのはクラブ記録であるが、一方開幕7連勝という99年の記録は塗り替えることができなかった。

 

そこで今回は1999年からアルビサポになった私が99年当時のチームについて振り返ってみようと思う。

 

既にYoutubeでは同じ内容のものをアップしているので、そちらもぜひ見ていただきたい。

 

 

■当時の振り返り

98年から在籍しているのがGK1木寺、DF5藤田、MF6水越、DF12中野、DF13田畑、MF15池田、MF16小林くらい。それ以外は新加入。

 

特にDF2木澤、DF3セルジオ、MF7瀬戸、MF17鈴木、MF22秋葉、FW9比嘉リカルド、FW11鳴尾は中心選手であり、特に鈴木慎吾と秋葉忠宏、木寺浩一はビッグスワンができてからのアルビも支えた選手たちである。

 

■注目選手紹介

98年のJFL時代の選手からがらりと入れ替わりがあったが、横浜フリューゲルスから新潟に移籍してきた瀬戸春樹はひときわ注目の選手であった。98年にはシドニーオリンピック代表候補にも選ばれるような存在。J2リーグ戦36試合出場。スタメンとして出場し続けた。しかし99年の1シーズンで退団。比較的こだわりの強い選手でもあった。悪く言えば気難しいタイプ。

 

DFでは木澤正徳が入団して即キャプテンを任命された。闘志あふれるプレーと積極的なオーバーラップが魅力の選手で、サポーターの心を掴んだ。私も当時のアルビで一番好きな選手はきーさんである。熱くなりやすくカードをもらいやすい点が欠点でもあり、ある意味では長所でもあった。

 

FW鳴尾は現在の新潟U-18の監督であるが、99年にはリーグ戦に瀬戸同様36試合出場し8得点。2000年には17得点と爆発し2001年には当時黄金期のジュビロ磐田に移籍する。今でいうと川崎フロンターレにJ2から移籍するようなもの。

決めるべき時に決定機を外す場面が多かった99年から00年では見違えるようなエースに成長したのを覚えている。

 

MF秋葉はアトランタオリンピック代表の経験があり、セレッソから移籍。リーグ戦35試合出場と主力として活躍。アルビのJ1昇格時のメンバーでもある。のちにナショナルチームのコーチを務め、現在は水戸の監督である。

 

MF鈴木慎吾は横河電機から加入。99年はリーグ戦30試合出場。00年以降により台頭し、02年から京都サンガへ移籍。京都サンガでの天皇杯優勝に貢献。あのパクチソンとチームメイトであった。

J1昇格後の新潟に復帰し07年まで在籍。

 

DFセルジオも02年までにアルビに触れたことのある方ならなじみのある選手。「セルジオ越後の壁」という横断幕はいまだに記憶に残っているサポも多いはずだ。

98年にはマイケルとイグナスという外国人選手が助っ人として活躍したが、両名退団後に99年に加入した外国人選手の一人がセルジオである。

越後の壁の異名の通り新潟の守備の要として活躍した。

 

FW比嘉リカルドは技巧派プレーヤーとしてリーグ戦34試合出場。のちにフットサル日本代表、ビーチサッカー日本代表にもなった。ちなみに99年のアルビ戦士から田畑も河原塚もビーチサッカー日本代表になっている。

 

GK木寺は99年では吉原とスタメン争いを繰り広げていた。99年はリーグ戦14試合、00年は18試合。J1昇格後04年には11試合出場と秋葉よりも新潟在籍が長くJ1昇格を経験している選手としては新潟に98年途中から在籍しているので最古参と言える。堅実なプレーをベースにビッグセーブも魅せる地味ではあるが頼りになるGKとしてアルビを支えた。

 

DF高橋は現在もアルビレックスの育成年代の指導者として在籍しているが99年加入組である。当初は柴とスタメン争いしていたがのちに勝ち、主力へ。

ちなみに奥さんは新潟の有名ラーメン店のお嬢様で美人。逆玉の輿。彼ほど新潟に移籍してきて人生が変わった選手はいないだろうと思う。これからも新潟を支えてほしい。

 

FWサウロはブラジル人らしいプレーが特徴の選手。当時のJリーグにおいてマリーシアという言葉がメジャーでなかった頃からそういうプレーも、柔軟なボールタッチも含めて非常にブラジル人らしかった。ファンサービスが神なのもブラジル人らしい、とても個人的には思い入れのある選手。1シーズンで退団。

 

■監督

永井良和監督。赤き血のイレブンという漫画のモチーフになった方。98-00年までアルビを指揮。99年の開幕7連勝は現アルビでも成しえなかった偉業であるが、それは永井監督の縦に早いサッカーが立ち上がったばかりのJ2リーグで効果的であったことと新戦力がかみ合ったことが大きい。アルビのJ2初期の堅守速攻型のスタイルの基礎は永井監督が作り反町監督が熟成させたという見方をしても過言ではないのではないか。

息子の永井俊太選手は柏レイソルに在籍。アルビに来ることはなかった。どうでもいいですが。

 

 

 

■印象的な試合

☆J2リーグ36節(最終節)VS FC東京戦

0-1で敗戦。そしてこの勝利でFC東京はJ1昇格を決める。

新潟市陸上競技場(当時のホームスタジアム)で敵の昇格を見ることになった悪い意味での印象に強く個人的に残っている試合。現地観戦していました。

ましてや得点者が加賀見健介というのも後味が悪い。比較的ダーティーなプレーが多かった選手という印象があるが、他にはアマラオ、藤山、佐藤由紀彦、サンドロなど実力者は揃っていたので昇格の力は持っていたチームではある。ちなみに現解説者の梅山修氏も99年のFC東京のスタメンである。サンドロは呂比須氏が新潟の監督をしていた時のコーチでもある。

 

 

 

☆ナビスコカップ1回戦 VS柏レイソル戦

J2のアルビがJ1のレイソルとぶつかった試合。

0-3で敗戦。

会場は新潟市陸上競技場。当日は尋常じゃない雨で観客は1959人。

 

当時の柏レイソルはタレントぞろいで、監督は西野朗、選手は韓国代表のホンミョンボ、ブルガリア代表のストイチコフ、明神智和、平山智規、大野敏隆、ベンチ―ニョ、北島秀朗、玉田圭司などの超豪華メンバーが新潟に初見参するも、大雨と当時は日韓W杯の盛り上がり前、平日開催ということもあり2000人以下しか集まらなかった。今なら考えられない話であるが、私はこの1959人のうちの一人で大雨に打たれながらアルビがボコボコにされているところを観戦した。

 

当時開幕4連勝をして勢いに乗っていたアルビもJ1トップレベルの戦力を誇る柏を前にしたら敗戦という結果が待ち構えていた。ちなみに99年の柏はリーグでは総合3位、ナビスコカップは優勝している。

 

柏との敗戦の後、リーグでは3連勝し結果的に開幕7連勝となったが実は開幕7連勝の間にナビスコカップで柏に負けていることも、そもそもこの当時にナビスコカップで柏で当たったということもデータを掘り返す以外で記憶に残っているサポーターは限られるはずである。

 

しかし当時のJリーグにおいてハイレベルなチームとアルビが戦った公式戦としてこの目で見れたことに価値がある。そんな中でもきーさんは孤軍奮闘していた記憶もある。

 

 

ひとまずここまで。現アルビのレビューやプレビュー以外にも生粋のアルビサポであるから話せることがあると思うのでこういう話もたまにしていければと思っています。

Youtubeでは現在2日に1回のペースでアルビを取り上げた動画をアップしていますのでチャンネル登録、高評価を何卒よろしくお願いします。

 

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